こんな勘違いしていませんか?
私は、SKI習慣を皆さんにお勧めしていて、「スマイルと感謝と祈りの習慣が運勢を好転しますよ」とお伝えしているのですが、「祈り」は、無意識のうちに間違った祈り方になってしまうことがあるのでご注意ください。
私のクライアントさんの例ですが。。。
彼女は毎晩ご主人の健康のために祈っているのだそうですが、それをご主人に嫌がられて、止めてくれと言われたそうです。ご主人は、「祈ってくれなくても大丈夫だから止めてくれ」とおっしゃったとのこと。
「夫の健康のために祈ることは妻としては当然のことだし悪いことではない」と、普通は思いますよね。でも、その祈りにピュアでないものが混じっていると、不思議とその思いが相手に伝わって、相手がいい思いをせず、嫌がられることがあります。
「世界が平和でありますように」「世界中から飢餓がなくなりますように」というように、祈りの対象が漠然としていたり、相手のことを知らなかったりする場合には、ピュアな祈りをすることができても・・・
身近な人のための祈りになると、自分の利得や相手を思い通りにさせたいという思いが混じってしまいやすいんです。
たとえば、「夫の健康のため」と言いながら、「夫が病気になったら自分が困る」という思いが混じっていたりしますよね。「子供の幸福のために」大学受験の成功を祈っているつもりでも、「受験に失敗されると自分が恥ずかしい」という思いが混じっていることもあります。
「最近働きすぎだから早く家に帰ってきてね」と夫を心配して言っても無視され、「今のままなら絶対に病気になる。私があなたの健康のために祈るしかないわ」みたいに言ってしまったら、どうでしょうか? ご主人にしてみれば、「祈ってもらう必要なんかない!」ってなりますよね。
今回相談してくださった方は、「夫のために祈っていると勘違いしていたけど、本当は心配で心配でしかたのない自分の心を静めるために祈っていたことに気づくことができました」とおっしゃっていました。
「祈り」に限らず、誰か相手のために何かしてあげていると自分で思っているとき、自分の心がピュアで無私な心かどうか、なかなか自分では気づくことができませんが、何かピュアでないものが混じっている場合には、必ず人間関係でギクシャクします。「何かうまくいかないな・・・」と感じるときには、自分の心の純粋さ、ピュア度をチェックしてみてください。